低出生体重児で産まれた娘のその後

低出生体重児

2022年現在小3の長女は、産まれた時2000グラム以下のいわゆる「低出生体重児」でした。

なぜ長女がそのような状況になったのか、そしてその後どんなふうに成長していったのか。

今回の記事は、妊娠中のお子さんが発育不良だったり、産まれた子が低体重出生時だという方に向けて、少しでも参考になればと思います。

目次

原因不明の「発育不全」

8か月で止まった赤ちゃんの成長

私が長女を妊娠したのは31歳のとき。自然妊娠がなかなかできなかったので、不妊治療のクリニックに通い、タイミング法をメインとした方法で授かることができました。

その頃は仕事が楽しくて、猛烈に働いていた時。

つわりもなく、とても元気だったので、妊婦なのに毎日毎日、22時、23時頃まで働いていました。

さすがに妊娠後期に差し掛かってきたころには、19時までの勤務で帰るようになりましたが、妊娠していることを忘れるくらいとにかく夢中で働いていたことを覚えています。

そんなモーレツ社員状態の私がハッと我に返る出来事が、妊婦検診のときに突然やってきました。

「赤ちゃんが大きくなってません」

という先生の一言。

妊娠8か月のことでした。

NICUのある病院へ転院

「赤ちゃんが大きくなっていない」

今まで何の心配もせず妊娠生活を送ってきた私に、その言葉は強烈な一言として突き刺さりました。

瞬間的に、「身体を顧みずに働きすぎてしまったからだろうか」「赤ちゃんになんて申し訳ないことをしたんだろう」「無事に産まれてきてくれるのだろうか」と、様々な考えが頭のなかを駆け巡りました。

先生からは、「NICUのついている病院で産んだ方が良い」という言葉。

私と夫はすぐに話し合い、予定していた産院から、NICUのある基幹病院への転院を決めました。

変わらない赤ちゃんの大きさ

基幹病院は、私のようなリスクのある赤ちゃんをたくさんみてくれるところで、NICU・GCUが完備されていました。

転院して最初に聞かれたのは、「妊娠前の体重」。

発育不全の原因は、胎盤に栄養がいっていないとか、色々あるようなのですが、妊娠前の体重が軽すぎることも一因になるようです。

私の場合、BMIが15くらいだったので、かなりのやせ形。それが原因だとは言われなかったのですが、原因のひとつではあったのかもしれません。基幹病院なので、データを取るためにもヒアリングしたのだと思います。

その病院の先生からは、「とにかく休んで、ゆっくりゴロゴロしててください。疲れると赤ちゃんに栄養がいかないから」と言われ、予定より2か月早く産休に入ることにしました。

今まで猛烈に働いていた自分はどこへやら、やっと赤ちゃんへ気持ちが向いた私は、毎日ソファに寝っ転がって、赤ちゃんに話しかけたり、音楽を聞かせたり、お腹の赤ちゃんとの時間を楽しむようにして過ごし、なんとか大きくなって、無事産まれてほしいと願っていました。

でも、どんなに食っちゃ寝しても、赤ちゃんは8か月のときの大きさからあまり変わらず・・・。

しかも逆子になったまま全然直る気配はなく、出産予定日が近づいていきました。

2000グラム以下で出産、GCUへ

そんなこんなで、検診でずっと「2,000グラムないよ」と言われた状態のまま、逆子が直らず帝王切開で出産しました。

はじめてということもあり、予定日より早く陣痛がきて急遽手術になったということもあり、手術台に乗ったら緊張で震えが止まらなくなり、安定剤を打たれる始末(笑)

朦朧としたまま無事赤ちゃんが産まれました。

産まれた赤ちゃんを見たときの私の一言「小さい・・・」。。。

そのまま私は意識を失い、赤ちゃんはそのままNICUかGCUへ連れていかれました。(このあたり、詳細の記憶が全然ありません・・)

GCUですくすく成長

長女が入ったのは、軽度の子を見てくれるGCUという場所でした。2,000グラム以下だと、呼吸がうまくできないことがあるので、しっかり見る必要があるとのこと。

出産後に長女に会えたのは何日後だったのか忘れましたが、夫に車いすを押してもらい、GCUに行ったのを覚えています。

授乳はたしか、自分で歩けるようになるまでは、搾乳したものを助産師さんに持っていってもらっていたような・・・(このへんも記憶があいまいです😅搾乳の初回、手で絞られるのが死ぬほど痛かったのだけは覚えています)

GCUではモニターがつけられ、常に呼吸や心拍が確認されていました。他にもたくさんの小さな赤ちゃんがいて、でも、みんな元気に泣いていて、不思議な空間でした。

私自身が回復すると、3時間おきにGCUに行って、授乳する、という入院生活でした。そう。夜中も3時間おきに起きてふらふらと授乳に行くのですね。でも薄暗いGCUの雰囲気が、なんだか私は好きでした。授乳室には、「小さく産まれた子には、その子に合った栄養が含まれる母乳が出る」といったようなことが書かれていて、頑張って授乳しよう、完母で育てようと思った記憶があります。

長女は体は小さかったのですが、障害はなく、呼吸も、心拍も安定していて、元気な子でした。

黄疸が出たので、ライトに当てられてるときはありましたが、それ以外は特に心配ごとはなく、私が先に退院し、2,000グラムを超えるまでは、搾乳した母乳を届けに家からGCUに通うことになりました。

そして約3週間で体重が2,000グラムを超え、無事に長女も退院することができました。

退院後~小3になるまでの成長

2歳まで定期的な検診に通う

出産後、約1か月で2,500グラムまで体重が増えました。その後、4か月になる頃には、成長曲線の内側に到達。小さめではありますが、普通の子たちと同様の身体のサイズに追いつきました。

でも、低出生体重児として産まれた子、ということで、定期的に出産した基幹病院の小児科で経過観察をしてもらうことに。

2歳になるまで、数か月に一度のペースで通い、発育状況を見てもらっていました。

うちの子は特段、目立った障害や発達が気になる点はなく、順調に成長していきました。

小3の現在

さて、そんな小さい身体で産まれた長女ですが、小3になった今、普通の小学3年生と変わらない体つきで、ものすごく運動の得意な子に成長しました😊

運動が得意になったのは、小さいころに夫が公園遊びやアスレチックでよく遊ばせてくれたことが良かったんじゃないかと思っていますが、とにかくすばしっこく、走るのも、鉄棒やマット運動も得意です。(家の中では、走らないで!と怒る日々ですが😅)

勉強も今は頑張っていて、本当によく成長したなと感じます。

娘の小さいころを知らない人に、低出生体重児だったと話すときっと驚かれると思います。

ちなみに、5年半後に出産した次女は2,600グラムで産まれました。私自身の体系は長女の時と同じBMIだったので、何が原因で低体重になったのか、今もわかりません。

人それぞれの成長

うちの場合は、身体が小さくても五体満足で産まれてくれ、その後も心配事がなく成長してくれました。

発育不全や低出生体重児といっても、本当に人それぞれ、違いがあります。

同じ時期に出産した友人の子は、うちの長女より小さく産まれ、ずっと小さい身体だったので、ホルモン剤を打つ検討などもしていました。

身体が小さいと、発達状況と服や靴のサイズが合わないことがあるので、苦労していると友人は話していました。

このブログを読んでくださっている方の中にも、色んな状況の方がいるかと思います。

今回の記事は私個人の体験談ですが、そういった方々にとって少しでも参考になっていれば嬉しいです。

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