稽留流産~胞状奇胎を経て出産できた話

胞状奇胎

妊娠出産は喜ばしいことですが、一方で自分ではどうすることもできない悲しい出来事が起きることもありますよね。

今回は、私が経験した流産と、胞状奇胎という病気について書いてみます。胞状奇胎に罹患した方(なかなか少ないと思いますが)の参考になれば、嬉しいです。

目次

人工授精成功からの流産

9週で流産に

長女が3歳になったころから、2人目を産む計画をしていました。

しかし自然ではなかなかうまく行かず、不妊治療のクリニックに通い、人工授精を試すことに。ラッキーなことに、数回のチャレンジで第二子を授かることができました。

が、喜びもつかの間。

妊娠9週目の検診で、「赤ちゃんの心拍が確認できない。今回は難しいと思う」という宣告。流産と言う悲しい現実を突きつけられました。

赤ちゃんはまだ子宮内に留まった状態。いわゆる「稽留流産」でした。

私はその時仕事をしていて、「いつ赤ちゃんが流れ出てくるかわからない状況」に耐え切れず、手術で子宮内容除去をすることにしました。

流産という現実は心の底から悲しく、病院を出た後は涙が止まりませんでした。うまく行かないことがあるというのは重々承知していたつもりでしたが、実際に自分の身に起こるとこんなに辛いものなんだと実感しました。そのとき、もう35歳だったので、また妊活を頑張らないといけないという焦りもありました。

まさかの「妊娠禁止」

稽留流産の処置は、妊娠を診てもらっていた病院ではなく、系列病院で行いました。

手術自体は短時間で、麻酔を打って眠っている間に終わりました。本来、日帰り入院でできる手術でしたが、私は麻酔が抜けきらず、一泊して退院しました。

その後、少したってから経過観察に病院を訪れた際、思いもよらないことを告げられました。

「除去した検体を調べたところ、胞状奇胎という病気にかかっています。絨毛がんになる可能性があるので、1年間は経過観察で、妊娠は禁止です」

・・・はい?という感じでした。

流産だけでダメージ受けているのに、「がん?」「妊娠禁止⁉⁉」

自分の置かれた状況についていけず、しばらく放心状態になりました。

胞状奇胎に耐えた10か月

胞状奇胎とは

胞状奇胎とは何なのか、病院でも説明はありましたが、ネットでも調べました。

胞状奇胎とは1/500妊娠の頻度でおこる、異常妊娠の一つ。私は部分胞状奇胎というものが発生していました。

過去には川崎フロンターレの大久保選手の奥さんもかかっていたという記事が。

絨毛がんに発展する可能性もあり、その場合は放射線治療も必要になるとか。

経過観察をして、妊娠している状態のときに出るホルモンのhCGという値が正常値になるまで測定していくという必要があるということ。正常値になるのは、約6か月はかかり、私の通っていた病院では1年を規定としていました。

自覚症状が無い分、信じられなくて、何より、35歳で「1年間妊娠禁止」という事実を直視できず、本当に絶望的な気持ちになりました。

妊娠許可を切望

それから数か月に一度の経過観察が始まりました。

毎回、通院すると採血して、hCGの値を見ていきます。超音波検査もします。幸いなことに私の経過は順調で、問題なく正常値に近づいていきました。

経過観察をしていた頃は、ただただ耐える日々。長女の育児と仕事に打ち込みました。

そして10か月が経った頃、経過観察の日に病院の先生に打診しました。

「先生、もう妊娠しても良いですか」

若い先生は、困った顔をしていました。

「40歳になるまでに産みたいんです。不妊治療もしなくてはならないので、少しでも早く妊活を再開したいんです」

切実な私の訴えに、先生は悩みながらも、

「数値は正常なので、少し早いですが、まあ・・・良いでしょう」とOKを出してくれました。

私は心の中で「YES‼」と叫び、先生に感謝して、病院を後にしました。

3回目の妊娠、出産

不安で仕方ない3回目の妊娠

先生から半ばむりやり妊娠許可を勝ち取った私は、すぐに不妊治療を再開しました。

流産と胞状奇胎のことを不妊クリニックの先生に告げると、いつもクールな先生がとても同情してくれ、また頑張りましょうと言ってくれました。

そしてそれからほどなくして、再度、人工授精で赤ちゃんを授かることができました。

でも一度流産を経験していると、安定期に入るまでは心配でたまらなくなるものなのですね。特に前回流産がわかった9週までは、大丈夫か、大丈夫かと、気が気でなかったです。

それでも今回の妊娠は、何とか順調に進んでいきました。

転院して起きたミラクル

今回の出産は、流産が発覚したときの病院ではなく、近所の産院でしようと思っていたのですが、長女のときと同じく、また妊娠後期になって、赤ちゃんがなかなか大きくならなくて少し心配、という事態になりました。

そこで大事を取り、長女を出産した基幹病院(流産が発覚した病院)に転院することにしたのですが、ここで思いもしなかったことが起きました。

妊婦検診を受けに入った部屋に、胞状奇胎を診てくれていた病院の先生がいたのです。

なんと最近、系列病院からこちらへ異動してきたとのこと。

もちろんお互い覚えているので、本当にびっくりしました。

「先生にフライングで許可もらったおかげで妊娠できたんです・・・」と報告しました😅

そしてその先生は、その日から私の出産の主治医になってくれました。

無事に出産

それから、赤ちゃんが小さめと言われつつも経過を見ながら出産日が近づいていきました。

前回が帝王切開だったので、今回も予定帝王切開。

入院して、手術の前日に超音波をしてもらうと「2,600ですね~」との声が。

「先週から600増えてますけど⁉」という謎の状況でしたが、

出産してみると、ほぼ2,600グラム・・・😂

小さいと言われて心配していたのは何だったのだろう、という嬉しい結果でした。

主治医の先生は手術も担当してくれて、産後会ったとき御礼を言うと、照れながらも嬉しそうにしてくれました。

産まれた次女は健康そのもので、私の胞状奇胎も復活することなどもなく、今も普通の生活を送ることができています。

ラクなお産なんてひとつもない

今回は、私が経験した流産と、胞状奇胎という珍しい病気について書きました。

妊娠出産は、どんなに健康な人でもすべて順調にいくことなんてめったにないと思います。

帝王切開はラクなんじゃないかとか、つわりがないからラクなんじゃないかとか、経験していない人にはいろんなことを言われますが、妊娠中に起こることを全部話す機会がないだけで、どんな人もその人なりの大変な苦労をしているわけで、ラクなお産なんてこの世にひとつもないと思ってます。

子どもを産みたいと思っているすべての人は、本当に頑張ってる仲間だと思えます。同時に、医療に関わる人の力がなかったら、子どもに会えなかったんだと思うと、本当に感謝しかないですね。

今回の記事が何かの参考になれば嬉しいです😊

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